プログラマyasuhoの隠れ家

某ソフトウェア企業に勤務するおじさんプログラマyasuhoです

マイクロソフト、任天堂を買収?


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040805-00000052-kyodo-bus_all


> 山内溥相談役が電話をくれれば、すぐにでも(株買収の)相談をしたい


思わず笑ってしまった。それはないんでない!?
そもそも買収される側がわざわざ買収する側に電話するかな。
本当のところはどうか分からないけど、あまりリアルな話じゃないっぽい。
ソニー買収よりはリアリティがあるが。


ゲーム業界全体が衰退しているという。
そういえばぼくも昔ほどゲームをしなくなったな。
プレステ2もだいぶ長い間電源が入っていない。


まあゲームをやらなくなったわけじゃなくて、通勤中GBAで相変わらずゲームはやっている。
家だといろいろやることが増えてしまって、昔ほどゲームに集中している時間がなくなってしまった。
なので、ゲームに興味がなくなってしまったわけではないと思う。


にもかかわらず、以前に比べるとゲームへの関心はかなり衰えてしまった。
理由はいろいろ考えられるが、ゲームそのものがパターン化してきたことも要因の一つだろう。
続編が多い以外に、ほぼジャンルが固定されてきてしまっている。
そんなゲームが増えてきた。


だがパターン化してきたのはゲームだけではない。
映画なんかは、ほぼジャンルが固定化されてしまっている。
大作や続編に頼っていたり、ゲーム業界と似たような状況はあるが、映画を見る人は多いし、嗜好も人によって違っている。


では映画とゲームの違いは何か。
映画の方が歴史的に古く、見る人が多いのも要因の一つであろう。
私が思うに、ゲームは無理に映画に近づこうとしているのである。


ゲームのストーリーは映画や小説のそれに比べて、あまりにも薄っぺらい。
中途半端なストーリーやビジュアルシーン、それはどうしても映画に比べて見劣りしてしまう。
最初はきれいな画像に感動していても、何度も続くとだんだんイヤになってくる。
派手な演出とビジュアルシーンも、ゲーム内での必然性が感じられないものが多いからだろう。


ゲームの本質は、自分の分身を自在に操って、様々な障害を自分の腕で突破した時の、あの何とも言えない感覚だと思う。
プレイヤーに立ちはだかる、強大な敵、謎、パズル、トラップ、などなど。
プレイヤーキャラクターを自分の意のままに操り、様々なアイテムを駆使して、それを突破する。
最初はとてもじゃないけど出来ないと思っていたのに、次第にうまくなっていく喜び、そしてステージクリアの達成感。
それは映画や小説といったメディアにはない、ゲームだけの感覚である。


派手な演出とビジュアルシーンは、宣伝には効果があるかもしれない。
だが、ゲームを遊ぶ人が求めているのは、今までにない仕掛け、アクション、トラップ、などの新しいアイデアなのだ。
現実には絶対あり得ないことができるのがゲームなのだから、映画に近づこうとするのではなく、ゲームメーカには、よりゲームらしさを追求したゲームを作っていって欲しいものだ。