プログラマyasuhoの隠れ家

某ソフトウェア企業に勤務するおじさんプログラマyasuhoです

ウェブにおける文章の書き方とは


ITmediaより:


http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0506/13/news012.html

なにが言いたいかというと、同じ日本語でも会話文と記述文は全然違う、ということなのである。
人に見せて理解させるための文章では、普段われわれがしゃべっている調子をそのまま文字にしても、あまりにも冗長な割には主語・主体があいまいで、内容がはっきりしない。
書き言葉では、主語・主体の省略、あるいは助詞の省略は、やりすぎると意味が通じなくなってしまう。


ネットやメイルにおける、言葉だけのコミュニケーションから生じる誤解については昔からあることだけど、blogという道具によって言葉がさらに省略されて、より誤解を生じやすくなっているかもしれないね。


過去はメイルや、パソコン通信やニュースにおけるフォーラムといった場が、議論をする場所だった。
互いの言葉尻をとらえて言い争いになったりとかね。
それらもほとんどは文字という、情報を伝達するには貧弱な機能しかないということを意識しないで使ったことによるものがほとんどだったと思う。
メイルでずっと議論していたのが、お互いにあって話せば、5分で終わったとか、みなさんも経験があるでしょう。


従来のメイルやフォーラムも、複数の人間と会話をしているとは言うものの、それらはそれほど広い世界じゃないし、基本的に同じ趣味や土台を持つ人たちの集まりだったから、リアクションもある程度予想がついた。
ちょっとした言葉遣いや話題の振り方で、トラブルはけっこう解決できていたと思う。


でも、今日のウェブやblogにおけるコミュニケーションは、これらとちょっと趣が違う。
ご存じのようにウェブはワールドワイドであり、どんな人がサイトを訪れるか分からないし、どんなリアクションがあるかも想像がつかない。
ゲーム中心のblogだって、ゲーム好きな人が来るとは限らないよね。


そうなると、たぶんどんなことを書いても、反論や批判はある程度覚悟しなければならないよね。
誰もが納得する言葉なんて、あり得ない。
どんなに丁寧に書いても、誤解を生じさせないように書くのは不可能だ。


そういう時に必要となるのは


首尾一貫した思想や考え


じゃないかと思うな。


議論になってしまった時は、その時の自分の気持ちが素直に表現できればよいのではないかと。


もちろん誤解を生じさせないように気をつけるとか、曖昧な情報を元に書いたりしないとか、守るべき基本的な事柄はあるだろう。
でも、最終的には、自分が書いた時の心境であるとか、考えだとか、そういうのが自分の中でまとまっていればいいんじゃないかな。
なんか陳腐な言い方だけど、文章のテクニックよりハート、というのかな。そういう方が大事だと思うよ。


といいつつ、ぼくが統一された思想でこのblogを書いているかというと、かなり怪しいけど。^^;