プログラマyasuhoの隠れ家

某ソフトウェア企業に勤務するおじさんプログラマyasuhoです

Impossible is Nothing


最近感銘を受けた記事。


http://bb.watch.impress.co.jp/cda/alphageek/10989.html

5年前に、JavaScriptを使って、インタラクティブな地図サービスを作りたい、といったところで「そんなことはできるわけがない」、と鼻で笑われるのたオチだったことでしょう。


...


しかし、今ではそれを「できない」という人が逆に鼻で笑われてしまうかもしれません。「Googleがやってるじゃないか」。“Impossible is Nothing”、何事も「できない」と思ってしまったところで思考停止。「できない」と思ってしまうからできないのかもしれません。「できない」のではなく「できるかどうかわからない」と考え、「わからないけどチャレンジしてみよう」と思ったところが、それを可能にするための第一歩なのでしょうね。


あー、ごめんなさい。けっこう言ってるかも、これ。
「できません」
「このスケジュールではムリです」
「できるけど、技術的に難しいからやりません」
云々・・・


(ぼくだけかもしれないけど)プログラマは無意識のうちに工数を多く見積もるクセがついているように思う。
簡単に実現できそうだったり、ある程度見通しが立つ作業であっても、途中で予期せぬ問題にぶち当たったりするものです。
そんなわけで、経験の長いプログラマほど、ある程度のバッファを持って線表を引くことが多い。
OSとかカーネルに近い位置にいることが多かったぼくは、特にその傾向が強いようだ。
(単に仕事が遅いだけって話も。^^;)


たしかに現実はいろんなしがらみや時間的制約などから、理想ばかり追っていられない。
設計の見積もりをする時も、まず障害となりそうな問題点から探し出してしまう。
やばそうなところは避けて、安全なルートを探す。
どうしてもやむを得ない場合は、代替案がないかどうかを検討する。


業務である以上、ひたすら完璧を追い求めてダラダラ作るわけにもいかないからね。お金もらってるわけだし。
チャレンジしたい気持ちがあっても、現実にはなかなか難しいな。


けど、なんか自分が成長した、成果を上げた、なんて時は、必ずどこかで苦労してる気がする。
安全な橋を渡って、スケジュール通り進んだ時は、それなりの満足感はあるんだけど、それだけなんだよね。
先が全く見えない、危険なルートを、苦労しつつ進んだ時って、達成感はもちろん、何か新しい物が作られている気がする。
今までにない新しいことが産まれる時って、現場ではいろいろな苦労があるはず。


実際にはなかなか難しいけど、気持ちだけは何かにチャレンジすることを忘れないようにしたいな。