プログラマyasuhoの隠れ家

某ソフトウェア企業に勤務するおじさんプログラマyasuhoです

人生3分の2まで来て、やっと気がついたこと


ただの独り言です。オチはありませんので、あしからず。


あと、別に自分が落ち込んでいるとか、そういうわけではありません。

独り言


ぼくは中学生までずっといじめられっ子でした。
義務教育の期間中、ぼくは心から笑ったことがほとんどありません。
そんな私が唯一心が安らぐ瞬間がありました。それはいじめっ子がぼくのことを見て笑った時。
相手が笑えばいじめられなくてすむ。そう考えた私は道化師になります。でも、それだけでいじめが終わるわけはありませんでした。太宰治人間失格みたいですね。あんなにはモテませんでしたが(笑)


私は「相手が何を求めているか考える」という基本的なことを考えていなかったのだと思います。考えようとする気持ちの余裕がなかった、というのが本当のところです。私は自分が世界で一番不幸だと思い、悪いのは全てまわりのせいであると考えました。ここから抜け出すことができたら、自分はきっとうまくやれる。そうやって、現実から逃げて、人づきあいをしなくなっていきました。


今になって考えると分かるのですが、いじめられるのは何か必ず理由があります。ぼくの場合は「相手に合わせない」というのが最も大きな原因だったような気がします。マイペースといえば聞こえはいいですが、要はエゴイストであったのです。


自分は好きなことだけをしよう。そう思って自ら工業高校に入りました。またいじめられるのが怖かったので、私は高校に入っても誰とも口を聞きませんでした。周りからはいつか発狂して暴れまわるのではないかと恐れられていたようです。^^;
そんな私にある日一人のクラスメイトが声をかけます。今思えば、担任の先生に頼まれたのかもしれません。いろいろと話すうち、彼はマイコン好きであることが判明します。それがこの業界に入ったきっかけです。クラスでもよくしゃべるようになりました。


好きなコンピュータ業界に入ったものの、パソコンの知識だけで仕事がうまくまわるはずはありません。私は再び自分のカラに閉じこもるようになっていきます。


そんな状況が変わったのはUNIXの移植を任された時でした。当時は私も含めてUNIXに詳しい人も情報も少なく、手探り状態でデバッグをしていました。納期は大幅に遅れ、ようやくシステムが動き出したのは納期の半年後でした。
普通なら左遷ですが、当時はまだ新人だったし、お客さんも研究機関だったせいか寛大だったようです。時間をかけたおかげで、いつの間にか私は誰よりもUNIXシステムに詳しくなっていました。すると周りの人は私に笑ってくれたのです。


ここで私は大きな勘違いをしてしまいます。周りが笑ってくれたのは、自分に実力があったからだと。しかし実際には手伝ってくれた多くの人々、お客さんに謝ってくれたであろう上司、などがあったはずです。でも当時の私はそんなことを考えもしませんでした。


それから転職し、現在に至るまで私の行動パターンはほとんど変わっていません。いえ、正確には自分が変わらなくちゃいけないなんて思わなかったのです。


「相手が何を求めているのか」それは意識して考えない限り永遠に分からないと思います。それは相手に媚を売るとか、機嫌を伺うとか、そういうことではなくて、相手の気持ちになって考えてみることではないでしょうか。自分を変えたければ、まず相手から変えていかないといけないような気がします。


もう人生を3分の2ほど来てしまったのに、ようやくこんな基本的なことに気づきました。ここから自分を変えるなんて、もう難しいかもしれません。問題は自分が本当にそうなりたいと思っているかどうかです。半年後自分がどうなっているかで、本気だったかどうかが分かるでしょうね。