プログラマyasuhoの隠れ家

某ソフトウェア企業に勤務するおじさんプログラマyasuhoです

オヤジが初めて使ったパソコンはX68000

本当に勉強になった。
ちゃんちゃんこを着たおじいちゃんがパソコンで作っているのが
町内会の会報だとは限らない。

自分の中の偏見を再認識した日 - 頭ん中


これを見てオヤジのことを思い出した。


オヤジが初めて使ったパソコンはX68000だった。あまり使わなくなったyasuhoがあげたんだ。初めてのパソコンにMS-DOS的なX68000はちょっと大変かと思ったが、苦労しながらも喜んで使っていたようだ。


オヤジは小さい頃から機械好きだったそうで、ラジオやステレオ・カメラなんかをよくいじっていた。だからパソコンもいじるだけで楽しかったのかもしれない。いや、むしろぼくがパソコン好きなのは間違いなく父親のDNAだろう。


ゲームなんかもよくしていたようだが、オヤジが最も楽しんでいたのはワープロソフトを使った日記だった。新聞記者だったからだろうが、その文章は簡潔で要点をついたもの。今生きていたら、間違いなくブログを書いていただろうな。「おまえの文章は冗長で分かりづらい」なんて言われてたかも。:)


オヤジはアマチュアながら将棋の有段者だったので、おそらくプログラミングも出来ただろう。残念ながらあまり興味はなかったようだけど。もしも興味があれば「パソコンの将棋は弱すぎて相手にならない」と常々言っていたので、自分で将棋アプリとか書いてただろうか。


その後オヤジは自分でWindowsパソコンを買い、デジカメで好きな写真を撮り、プリンタに印刷していた。いよいよこれからインターネットだったんだけどな。亡くなる間際「今度息子にインターネットを出来るようにしてもらうんだ」とオヤジが言っていたと母親から聞いた。


その知らせを聞いたのはシドニーオリンピックの年。高橋尚子が金メダルをくわえていたまさにその瞬間に電話が鳴った。オリンピックと彼岸花を見るたび、オヤジのことを思い出す。「お彼岸の時に亡くなる人に悪い人はいない」って誰に聞いたんだっけな。


ヤバ。目がうるってきた。人前じゃ恥ずかしいから、ちょっとトイレで泣いてくるね。:)