プログラマyasuhoの隠れ家

某ソフトウェア企業に勤務するおじさんプログラマyasuhoです

文章の書き方


少し前に、会社の知り合いから「論文の書き方」なる本を貸してもらった。


論文の書き方 (岩波新書)


ぼくのブログのあまりのヘタさに絶えられなくなったのか、仕事に役立たせるためなのか、そのへんはよく分からない。^^;;
ブログに限らず、仕事でも人に説明するドキュメントを書くのは苦手なのだから。
ともあれ、その人は「文章の書き方の勉強になるから」と、その本を貸してくれた。


題名は「論文の書き方」であるが、どちからと言えば、どのようにして人に分かりやすい文章を書くか、そのためのヒントが書かれている本だ。
かなり昔に書かれた本であり、古い言い回しを理解するのにちょっと苦労したが、分かりやすい文章というものを書くためのヒントのいくつかを得ることができたように思う。
その中から、自分が共感を覚えたことに対し、よい文章を書くためのヒントというものを、自分なりにまとめてみたいと思う。


このブログを見られている方々の多くは、自分でブログを書いている、あるいは日記を書くことに興味があるのではないだろうか。
そのような人々に対して、このヒントが参考になれば幸いです。


また、自己流で解釈しているので、間違いや解釈の誤り等あるかもしれません。
もし間違い等あれば、コメントしていただけると、嬉しいです。

字数に制限をつけて、短文から練習する


よい文章というものは、短い文の中に、言いたいことが簡潔にまとめられているものだ。


この本の作者は、社説や批評という、非常に字数制限の多い記事の中に、自分の言いたいことを書くという苦労を体験している。
時事問題や本の作者の考えていることを少ない文字数でまとめようとすると、言いたいことのかなりの部分を削除しなければならない。
相当大事と思われる事柄であっても、削除せざるを得なくなる状況がそこにある。


字数の制限がなければ、もっと自由に書けたのではないか、と思われる人もいるかもしれない。
だが、実際には制限のない文章というものは、まとまりがなく、テーマも見失いがちだ。
そもそも長い文章は、読む人にとっても苦痛である。
字数を制限することで、本当の本質が見えてくるはずだ。
短く簡潔にまとめてあった方が、印象に残る気がするしね。


とは言うものの、短くまとめるのって、本当に難しい。
このブログも、ともすればダラダラ書いちゃってるし。。

多少の差し障りを恐れない


曖昧な言葉より、主語を明確に主張した文章を書くことで、印象的な文章にすることができる。


日本語や日本の文化は、曖昧な言葉に代表されるように、自分の主張よりお互いの和を重んじるものである。
「これはそうである」という断定的な言い方をすれば角が立つので、我々は「そう思われる」とか「そうではないだろうか」というように、明確に断定することを無意識に避ける傾向がある。
そのようにすることで、我々はみんな仲良く生活するという文化を作って来たわけだけれども、それをそのまま文章にしてしまうと、どこが本質で、主張したいことなのか、曖昧になってしまうのだ。


主義主張を明確にすると、そこには多少の「差し障り」が生まれるものだが、それを恐れすぎてしまうと、主文を見失いがちになってしまう。
時には「差し障り」を恐れず、主張することも必要だろう。


あまりやりすぎると、嫌われてしまうけどね。
ぼくはこんなふうに、顔文字に逃げてしまうことが多いです。^^;

時間的な経過を意識する


思いつくままに分を羅列するのではなく、それぞれの時間的な経過を意識しながら、文章を構成する。


ぼくがそうなのだけれども、ネタを考えてブログの記事を書き始めると、なんか途中でよく分からなくなって、途中で書くことをやめてしまうことがある。
これは文章全体の経過というものを意識せず、きっと思いつくまま書いているからだろう。


4コママンガが起承転結でまとめられているように、文章に時間的な流れを作ると、読む人も読みやすいし、まとまりが生まれてくるものだ。
途中で話がいろいろなところに飛ぶと、読む人は疲れるし、最初のことを忘れちゃったりするよね。
一つの方法として、作者は序文と結論を最後に書くことを推奨している。
文章の構造を崩さないための、一つの方法であると思う。

そして自分は


これを読んで文章がうまくなったかと言うと。
うーん、あんまり変わってないような気がするなあ。
この記事自体、相当長くなっちゃってるし(汗)


もっとも、本を読んだぐらいで、いきなり文章力が上がるはずもないわけで。
以前にも書いたように、日々文章を書き続けるしか、方法はないのでしょうね。
日々精進しますです、はい。。。