プログラマyasuhoの隠れ家

某ソフトウェア企業に勤務するおじさんプログラマyasuhoです

本物のプログラマ


けっこう有名な話なので、ご存じの方も多いと思うが、昔bitという雑誌に「本物のプログラマPASCALを使わない」なる記事が掲載されたことがある。
以前ネットでこの記事を見つけて、とても面白かったのだが、ページがなくなってしまって以来、また読みたいなあ、と思っていたら、morifuku さんのところでその記事を見つけた。


http://morifuku.cocolog-nifty.com/blog/2004/12/pascal.html


思わずブログのタイトルに反応してしまいました。:)
「本物のプログラマ...」に続編があるとは知らなかった。


ちょっと長いけど、ぜひ読んでみてください。面白いから。
かなり前の話なので、若い人は内容的にちょっと分からないところもあると思うけど、言いたいことはなんとなく分かると思う。
だいぶ誇張されてるところはあると思うけど、言わんとしているところは現在でも十分通用する。


「話がよく見えん」という人のために、ぼくが知っている範囲で当時の時代背景をば。
もし間違っていたら、指摘していただけると嬉しい。


この記事が書かれた1980年代前半は、大型コンピュータがバリバリ使われていた時代。
大型コンピュータは空調の利いたコンピュータ室にうやうやしく置かれていて、個人が自由に一日中使える代物ではなかった。
プログラミング言語FORTRANCOBOLが幅を利かせていた。


プログラムもキーボードとディスプレイではなく、カードパンチャーで一枚一枚入力し、JCLというコンピュータに作業依頼するための指示書をつけて、カードリーダーに読ませていた。
結果はラインプリンタという、ドラムのお化けのような巨大で騒々しいプリンタに打ち出される。
間違いやエラーがあったら、カードを打ち直して再びカードリーダーに読ませる。
コンパイルや実行も、JCL経由で指示。
今から考えるとえらくのんびりしたことをしていたが、当時はそんなことを普通にしていた。


ではパソコンはどうであったか。
パソコンと言っても、CPUはようやく8bitから16bitに移行し始めたころであり、まだまだ大型コンピュータに比べると幼稚なものであった。
当時のパソコンでプログラムを作る時はほとんどBASICや機械語*1を使っていた。
ハードディスクどころか、フロッピーディスクも高価であり、外部記憶装置といえば、カセットテープのみという人が多かったように思う。


そんな時代、パソコン雑誌に「これからはPASCAL」なる記事が載る。
「BASICなんてもう古い。これからはPASCALだ。何年かのちにはパソコンではBASICに代わってPASCALが使われるようになる」といった記事だったと思う。
いくつかの雑誌にもサブセット版ではあるがPASCALが掲載*2されたりしていたので、けっこう使った人はいたと思われる。
実際にはPASCALがパソコンの標準になることはなかったが。


「本物のプログラマPASCALを使わない」は、そんな時代に書かれたものだ。
大型機からマイコンまで広く知る作者が、当時の風潮に危機を感じていたことは、想像に難くない。


この記事が現在も読んで面白いのは、コンピュータが思ったほど当時と変わっていないからだろう。
もちろんコンピュータの性能は飛躍的に上がり、できることも格段に増えた。
全てのコンピュータはネットワークでつながり、今やパソコンはTVやビデオといった家電と同じように使われている。
こんな風になることを、誰が想像しただろうか。


だが、コンピュータの本質はそれほど大きく変わってはいない。
より速く、より大容量に、より使いやすくなったが、基本は同じである。
「本物のプログラマ...」の作者は、どう思うかな。
「昔と変わってないね」と言うだろうか。。

*1:今でいうアセンブラのこと

*2:当時のパソコン雑誌にはプログラムがダンプリストなどで掲載され、それを見て自分のパソコンに打ち込むのが普通だった