プログラマyasuhoの隠れ家

某ソフトウェア企業に勤務するおじさんプログラマyasuhoです

長く技術者をやっていきたいと考えるなら

 「ものづくりは実に面白い。その面白いことを毎日できるわけだから、技術者の給料は安くてもいいのです。それで十分幸せなんですから」

 やはりそういう考えだったのかと、ある意味納得した。いわゆる「理系離れ」を阻止する目的で、「小中学生を対象とした科学の面白さを体験するイベントを開こう」などと言い出す学者さんや経営者の方がおられるが、その発想も根っこは同じだろう。つまり、それが面白いことであれば、どんなに待遇は悪くても人はそれをやってくれるのだと信じているのである。

だから技術者は報われない:ITpro

 こうして、技術者の世界に「自分を生かすために職場を自身の判断で変えるのは普通のこと」という風潮が根付づいたとしても、中村氏が思い浮かべるように「何億円という報酬を手にする技術者がごろごろと出現する」状況になるとは思えない。そもそも、そのように絶大な格差が生まれる状況が、日本に暮らす人々のメンタリティに適うのかという疑問がある。けれど、技術者全体の処遇を底上げする効果は相当にあるのではと思う。


気持ちは分かります、はい。ぼくがそういう人だから(笑)


年収500万で自分の好きなことが思いっきり出来る仕事。年収1000万で全く自分の興味がない仕事。間違いなく前者を選びます。今は家族がいるから、たぶんそうはならないけど。:)


ただyasuhoの場合「給料はいくら安くてもいい」ということはなくて、やっぱりある程度の給料は欲しいはずなのです。上記比較が例えば自分の好きなものも買えないような年収だったら、絶対考えると思う。「待遇」がどこまで許容できるかは人によって基準が違うと思うけど、そこには何かしらのボーダーがあって、「好きなことが出来れば幸せ」は、あくまでその範囲内での話。

その人が正当に評価されているかどうかは


その人の価値観次第なんじゃないかなあ。


自分が正当に評価されているかどうかの指針はいろいろあると思うけど、その大半は「お金」なんですよね。もちろん給料は多くもらった方が嬉しいに決まってる。で、自分の労働力に対してこのぐらいもらえば満足、っていうのは個人の感覚でしかなくて、そのベースとなるのは周囲の人の収入であったり、自分が欲しい物の価格とか、人によって全然違う。


あと「人間関係」もけっこう重要なんだけど、これは個人の努力で改善できる部分が少ない(好き嫌いが大きい)から、やはりお金になってしまうのかな。

でも待遇のいい職場で勤務できるかどうかは


ほとんど運なんですよね。どんなにいいと言われる会社でも、人間関係がいいと評判だったとしても、それが自分に合うかどうかは分からない。仮に理想の職場に出会えたとしても、それが未来永劫続くことはない。会社も人もどんどん移り変わっていくから。

仮に技術者の社会的地位が向上したとしても


本当にその人自身の地位が向上するかどうかは、やっぱり自分次第だと思うのです。不運にも待遇や人間関係のよくない企業に就職してしまった。それはたぶん自然に解決することは少なくて、自らの手で環境を変えていかなくちゃならない。


初任給や能力給、年度ごとのベースアップなどでは、それほど多くの賃金アップが望めないのはご存じの通り。自分の好きなことをして、満足する給与をもらうには、努力して人より優れた「何か」を習得しないといけない。ソフトウェア技術者の場合「何か」とは基本技術なんじゃないのかな。

ソフトウェア業界で長く技術者をやっていきたいと考えるなら


今まで知らないことをいかに早く自分のものに出来るかが重要。


コンピュータハードウェアやソフトウェアは年々新しくなっていくけど、それらは従来技術の上に成り立っているわけで、言い換えると、基本知識があれば新しい技術も覚えやすいんだよね。


技術も人も会社も仕事もどんどん変わっていく。異動や転職したら今までとは違う世界が待ってる。今やってる仕事が精一杯で新しいことを覚える余裕なんかないかもしれない。けど、例えば今やってる技術の中はどうなってるんだろう。どんな原理で通信できるんだろう。そうやって突き詰めていくことで、自然と基本に近づいていける気がするんですよね。


あとは技術に対する情熱と、人に信頼される誠実さがあれば、きっといつか努力が報われる日がくる。yasuhoはそう信じています。いや、信じたい、うん。^^;