プログラマyasuhoの隠れ家

某ソフトウェア企業に勤務するおじさんプログラマyasuhoです

今度はあんたが子どもたちのために科学雑誌を作ったらどう?


「かならず家に帰ってから開けましょう」そうそう。教材の箱にはこう書いてあったんだよ。学校で開けてしまって部品をなくしてしまい、悲しい思いをさせないための配慮だったんだと思う。


もう一度見たい!「科学」と「学習」 (Gakken Mook)

もう一度見たい!「科学」と「学習」 (Gakken Mook)


ざっと読んでみました。あんなに好きだった雑誌なのに、実際に見てみると忘れていることが多くて。もっともyasuhoが読んでたのは30年以上前だからかもしれないけど。


それでも思い出深い付録はいくつか見つかりました。特に今の私を作るきっかけとなったと言っても過言ではないダイオードラジオは、まさに私が作った物と同じ写真が掲載されていて嬉しかったですね。



ちなみに私の時代、コイルは手巻きでした。エナメル線を付属の紙ヤスリで削った覚えもあります。でももしコイルが既に巻かれていたら、バリコンが手作りじゃなかったら、あれほど感動しなかったかもしれません。苦労して作った教材だからこそ、電気の道へ進もうと思えたのだと思います。


最初は「懐かしいなあ」なんて思いながら眺めていたのですが、特に印象的だったのは巻末のインサイド・ストーリー。短いけれど、そこにはまさに編集者や読者の想いが凝縮されていて、いつしか目には涙が浮かんでいました。ToT


「こんないい雑誌が廃刊になってしまうなんて」なんて思いつつも、yasuhoはまた違った想いにかられていたのです。

でも廃刊に追い込んだのも自分たち自身なんだよな


私の時代、学研の科学と学習は、学校で販売されていました。その後学研のおばちゃんが販売することになったとか。いずれにしても、親の同意なしには買えるものではなかったのです。そして、親が買ってくれなければ、この素晴らしい雑誌に出会うこともなかったかもしれません。


当時科学と学習に夢中になった少年少女の多くは大人になりました。今度は自分たちが子供たちに買い与えてあげる立場になったのです。でもあんなに夢中になった学研を読んだ大人たち全てがそうはならなかった。全盛期の1979年は670万部を記録したにも関わらず、です。


もちろん教育の多様化やファミコンの台頭も要因として上げられるかもしれない。でもそれだけが理由なんだろうか、って思う。科学を生かしたのも廃刊に追い込んだのも自分たち自身なんじゃないかって。


そんなことを想いながら本を眺めていたら、読者から投稿された一文が目に止まった。

今度はあんたが子どもたちのために科学雑誌を作ったらどう?

休刊を知った息子の衝撃と悲観が大きいので、母としてどう慰めるか考えましたが、
「そんなに残念なら、あんたが大きくなったら、
今度はあんたが子どもたちのために科学雑誌を作ったらどう?
これが効きました。
パッと顔を明るくして「うん!」と言いました。


福岡県/N・Kさん


そう。ぼくらはもう親に許可されないと科学が読めない子どもじゃない。その気になれば科学雑誌を発行することだって不可能じゃない大人なんだ。そんな大人が嘆いていてばかりでどうする。そんなことじゃ学研の編集者たちも悲しむよ、きっと。


ぼくらにはまだ大人の科学があるじゃないか。その気になれば科学教材を手に入れることだって難しくはない。


学研の科学が廃刊になったことは寂しいし、もちろん復活して欲しいとは思う。でも与えられたものだけじゃなく「作ること」ことを教えてくれたのも教材じゃなかったっけ。


私の息子はまだ小さいけど、学研の教材は大好き。大人の科学シリーズはもちろん、電子ブロックやマイキットなんかを、目を輝かせて遊んでる。そういえばぼくの父親も機械いじりが大好きだったらしい。


今週末は一緒に人体骨格モデルを作ろう。ポニョに出てきたポンポン船も作ってみたいな。少なくとも作る楽しさは子どもたちに伝えていきたいって願う。

最後に学研の科学と学習スタッフの方へ


本当にありがとうございました。