プログラマyasuhoの隠れ家

某ソフトウェア企業に勤務するおじさんプログラマyasuhoです

学研がなかったら、プログラマじゃなかったかもしれない

津川:私はもっと本格的なキットを買ってきて、トランジスタラジオを作りました。ハンダ付けとかもして、完成してちゃんとラジオが聞けたときには感動しましたね。やっぱりふろくのダイオードラジオがきっかけです。

好奇心が膨らんだふろくの数々『科学と学習』の魅力/Tech総研


もしも学研の科学がなかったら、yasuhoはプログラマじゃなかったかもしれない。


学研の科学の教材が大好きだった。それは花のタネだったり、魔法のような薬品だったり、畜音機だったりした。毎月これが来るのが待ち遠しかったものだ。


小さい頃は小動物を飼ったり、植物を育てることが好きだった。こう書くと心やさしい少年のように思われるかもしれないが、実際は単なる好奇心であったのだと思う。いろいろな動きや振る舞いをする動物や植物は見ているだけで楽しかった。牛乳瓶にアリを入れ、巣を作る様子を一日中眺めていたこともある。

そんな時あの教材と出会った


さて、小学校6年の夏にダイオードラジオは化学の教材についてきた。それは長いニクロム線と小さなダイオードという素子とバリコンがわりのアルミ板などから構成されていた。電源はない。ほんとにラジオになるんだろうかと、かなり懐疑的だった。


説明書通り組み立てて、ニクロム線をベランダに出してから、アルミ版を動かしてみた。とても小さな音だったけど、イヤフォンから最初に出てきた音は今でも忘れない。それは「そばゲッティ」という食品のCMだった。


あまりにも嬉しくて家族はもちろん、近所の人にも自慢した。親には怒られたけど、あの時は嬉しくてしょうがなかったんだよね。


それからはラジオにのめりこみ、当時流行りつつあったBCLの世界に入っていく。当時自分は電子技術者になると信じて疑わず、高校も迷わず工業高校の電子科に入学。


が、世の中そんなに甘くない。実は電子工学はほとんど数学の世界。数学が苦手だったぼくはあっという間に落ちこぼれる。ラジオ少年の夢消えたり。何も考えずに突っ走ってしまうところは今も変わらないけどね。^^;

そんなふうに考えていたら


で、将来どうしようかなー、なんて考えていたら、高校時代の友人がマイコンショップに連れて行ってくれた。マイコンは知ってたけど、それは電子工学よりさらに難しいものだと思ってた。ある意味ではそうなんだろうけど。とにかく、最初は「タダで出来るゲーセン」という感じで、スタートレックなどで遊んでいた。


ある日ショップでBASICのリストを発見。友人に入力方法を教えてもらい、何となくマイコンに入れてみる。たしかそれは動かなかったんだけど、さわるうちに何となく意味が分かってきた。「複雑そうに見えるけど、実は単純な命令の積み重ね」と友人が教えてくれたっけ。


それからはもう毎週のようにアキバに通う日々ですよ。この時点で「将来はプログラマになる」ことを信じて疑わなかった私。ほんと単純だよね。前回の教訓がまるで生かされてない(笑)


というわけで、気がつけば今もプログラマでいるyasuhoがいるわけです。:)

もし教材に出会わなかったとしたら


まあ機械好きということでいつかはマイコンに到達していたかもしれない。けど、今思いかえしてみると、あの時化学の教材に出会わなかったら、ぼくの人生は全く違ったものになっていたと思うんだ。


小さい頃のぼくは自信もなく、いじめられっ子だった。生きる価値があるんだろうかと考えたことも何度もある。そんなぼくが自信を持ち、前向きに生きられるようになったきっかけは、好きなプログラミングを職業に出来たから。それがなければ、yasuhoはきっと何となく生きていて、こんなふうにBlogを書くこともなかったと思う。


今でも書店で科学と学習を見かける。今の子供は教材ぐらいじゃ感動しないかなあ。でも、若い頃の出会いってすごく大事だと思う。子供たちにそんな出会いを届けるためにも、学研の科学と学習はこれからもずっと続いて欲しいと思うのです。